「なァ、その歌、歌詞はあるのか」
それは彼が読書中で、その向かいで私が所用の書類に向き合っていた最中に発せられたものだった。その質問は唐突であって、最初は意味が分からなかくて首を傾げた。しかし彼が「鼻歌、無意識だったのか」とおかしそうに口の端を上げたおかげで、私は自分が歌ってたことを自覚したのである。途端、恥ずかしくなってしまう。なにしろ、音程にはひどく自信がない。そんな私の様子に気づいたのか少し意地悪い顔で「安心しろ、悪かねェ」と彼は笑うのだ。しかしそういう問題でもない。羞恥から何もいえないでいると、彼は「それで?」と先程の質問の答えを促すので「・・・ありますよ」とどこか居心地悪く私は答える。その答えに彼は目を少し細め、一瞬考えるように黙したあと、あろうことか「じゃぁ歌詞つきで歌ってみろ」とおっしゃってきやがったのだった。はい?
「なななんでそうなるんですか!」
「・・・お前、気づいてないのか?」
「・・・へっ?」
彼は少し驚いたように言い、私の反応を見るとため息を吐いた。
「いつもその歌ばかり口ずさんでいる。いやでも耳について仕方ねェ」
「・・・っ・・・なんたる・・・!」
彼の口から思わぬ事実を聞いてしまった自分は羞恥に打ち震えた。今回ばかりでなく、以前にもこんな拙いものを彼に聞かせていたのかと思うと今すぐ何かに入りたい。そう穴とか。というかそうだ、普段無口な彼がこうやってわざわざ質問するくらいなのだから、その頻度は高かったということなのだろう。ああまったく、なんたることだ。入る穴は、もはや墓穴でもいい気がした。
「で、聞かせてくれないのか?」
「い、いやちょっと」
「渋るだけハードルは上がるもんだが」
「止めてぇえ!?」
そう叫ぶが彼は軽く笑うだけで、その視線がさあどうぞと言わんばかりに促していて、言葉が詰まる。何も歌いたくないのは下手だからというわけではなくて。
「だってローさん鼻で笑いそう」
「・・・どういう意味だ」
彼は呆れたように「そんなことはしねェ」と言う。でも、私が言いたいことはやっぱり上手い下手とかじゃなくて。そう別に、どちらかというと私の下手さを笑ってもらうには全然いいのだけど。「違いますよ」といえば彼は首をかしげる。
「この歌は・・・、」
言って、しまったと思う。こんなところで区切ったら、聞いてくださいといっているようではないか。しかし私は確かに、誰かに聞いてもらいたいのかもしれない。けれど、この人に笑われて、私は平然としていえられるだろうか。この人に、私の心のうちを笑われたら。
「・・・どんな歌か、本当に聞きたいですか?」
「あァ?」
不可解そうにというかもはや不愉快そうに眉を寄せるローさんに、私は観念するように息を吐き出した。まぁ、笑われても仕方ないと、心の準備をしておこう。皮肉屋なこの人のことだから、もはや嗤われるかもしれないとまで思いつつ。
「この歌はね」
人差し指を口にあて、私はまるで秘め事を打ち明けるように囁く。
「叶わない恋の歌なんですよ」
うまく笑えたかは、少しばかり自信がなかった。