(始まります←今ココ)

今、まさに放り出された彼女は、呆然とした表情でこちらを見ていた。

いやむしろ、そんな表情をしたいのはこっちだったんだが、なんだかただならぬ彼女の様子に身動きを取れないでいた。
澄み渡る晴天は広く、太陽に煌めく海に浮かんだ船の上、彼女は、確かに、放り出されていた。そして放り出された、というその言葉はありのままの表現であり、決して揶揄なんかじゃない。彼女は甲板に突然ぱっと現れ、一瞬体を数センチ浮いた宙に放り出されて、そしてそのままドサリとその身を着地させたのだ。だけどそれはまるでぽいっと軽く投げ捨てられたようにも思えて。そしてそのことに一番驚いているのは彼女自身のようで 、座ってへたりこんでしまったままだ。
しかしそんな異常事態の一部始終を目撃してしまっていたのがエースであった。けれど一部始終を目撃していたからといって、むしろだからこそこの異常っぷりに警戒を解けるわけがなく。敵なのかと思って注視したが、しかし彼女はそういった戦意や殺気などからはむしろかけ離れていた。その証拠に敵に敏感であるはずの他のクルーたちが誰も出てこない。
そして当の彼女は停止、していた。フリーズしていた。放り出されたというか投げ捨てられた、と表現した彼女の瞳は見開いたままで、さっきからずっと見詰めあう状態である。その表情はなぜだかとても大切なものまでをその身と一緒に捨てられてしまった、とでもいうようで。よくわからない喪失感さえ、自分に感じさせていた。

「おい、あんた」

声をかけるのに躊躇わなかったわけじゃない。けれどこのまま見詰めあったって埒があかないのも分かっていた。

「ここ、は、」

しかし呼びかけに応じたのかと思ったら、そうではなかったらしい。おーい、と声を重ねながら立ったまま手を振るが反応が返ってこない。座り込んでいた彼女はなにかを確かめるように指で板目をたどっていて、けれどその指に細いな、と端的な感想がつい出る。次いでそれがどうしたと少し苦く思いながら、しかしそれでもその覚束なくたどる指先に視線を送っていた。

「ね、そこのかっこいいオニイサン。おーい」
「・・・へ? ああ、おれのことか」
「そうそうおれのことだよ、あなた以外いないじゃないか」

「そっちから話しかけておいてさ」とすこしおかしそうに笑う彼女に、つい反応が遅れた。なぜかというと、彼女の指に少し意識を持っていかれてたのと、急に彼女がこちらを認識したからだった。それがどうしたって、だって彼女はずっと目を見開いていたわりに、自分の現状を全くと理解できずにいるようだったのだ。こちらを見ているようで、見ていない。もっというとこちらを、認識していなかった。いや、できていなかった。
彼女は、おれの存在さえ含めて一枚の風景画を見ていた。ただ描かれたそれを眺めているような、ここを、現実を、現実としていないようなそんな反応の薄っぺらさが、あったのだ。だからそんな彼女がいきなり風景画の中に入って地に足をつけて、こちらに、つまりは彼女にとっては風景画みたいな現実に、おれにとっては紛れもない現実に向かって喋ったのに少し、おどろいたのだ。なんだかやっと、風景画を現実と認識して、彼女の中の齟齬がなくなって、かみ合った、みたいな。
・・・いや、こんなややこしくいう必要は全くないんだ。ただ彼女が彼女の世界に意識を飛ばしたままだと思ったら、急に戻ってきていてびっくりした。それだけ、だろ? でも、なんだか、そんな単純に言ってしまうよりはさきほど並べ立てた言葉のほうが、彼女の置かれてしまったらしい状況に、似合っている気がしていた。
・・・どうして?
彼女は、途方のない迷子のようだった。いや、きっと先ほどの様子からして迷子なのは確かなのだろう。ぱっと出たように見えたのはなんかの見間違いで、彼女は間違ってこの船に乗船してしまったのかもしれない。・・・でも、「ただそれだけだ」と言うには、やっぱりこの反応は、ただの迷子というには、歳のわりには、なんだかとても大げさで。

「で? どうしたんだ。あんた、どこから来た?」
「あー・・・いやー・・・これは・・・」
「・・・?」
「・・・うん。そう、ですね。強いて言うなら、現実から」
「・・・はぁ?」
「いえね、ちょっと、びっくりしていて」
「煮え切らないな。どうしたっていうんだ?」
「いえね、お兄さん、」

迷子というより、もしかして彼女は何かに巻き込まれてしまって、彼女自身の、もしくは他の誰かの能力で予知せぬところへ飛ばされきてしまったのではないのだろうか。ふと、これでも伊達に2番隊隊長を背負っているわけではない彼は、先ほどからさまざまな可能性を考えていた。なおかつグランドラインのなんでもアリの自由さも、彼はちゃんと知っていた。どこか未だ呆けている彼女を前にしながらふむ、と考えつつ口に手をあてる。するとその時、その独白のようなつぶやきが確かに、彼の耳に届いた。

「天国ってずいぶんと広いんですね」

彼女の目はぱちくりと見開いたまま、こちらを凝視していた。その目はなんだか初めて見るものを取りこぼさないように一生懸命になっているように思えたし、まるで揺るがないその真っ直ぐさは冗談を言っているようになんて思えなかった。おれの目もそんな彼女を、凝視していた。きっと彼女のような人間は、初めて、だから。そんな、予感とも直感ともいえぬ本能が、彼にはあった。これはきっと、取りこぼしては駄目なんだ、と。




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名前変換がでないことにも定評があry