泥濘に足を取られまして
08

現在私は、都合が良いことに長期の休みを貰っていた。何故かといえば傷心旅行したかったからです。というのが間違えようのない真実だった。間違えようがあっても全然良かったというものだが、いかんせん茶化す気もなれなければ笑えもしない。思えば、ローさんにここへ留まるよう提案したのも人恋しかったのかもしれない。なんて尻軽か、と突っ込まれそうだが別に彼とどうこうなりたいわけではもちろんなかった。ただそう、傍に誰かいてくれるというだけでも、人間、案外気がまぎれるものだとは、彼との生活を始めて実感したことだ。
そしてその彼こと、ローさんの順応は早かった。
例えば、買い物はとりあえず日用品や服をと思って一緒に一度行ったきり、彼は「道は覚えた」と言って他のものはひとりで買い物をしてくるのだ。たまにお使いを頼むと、面倒くさそうにしながらも頼まれてくれる。出不精の私は大変助かっているがなんだかちょっと申し訳なくて、ぽつりとその旨をこぼしたことがあったが、彼は「・・・お前は人の扱いが上手い」と苦笑していた。どういうことだろうかとそのときは考えたが、彼が命令嫌いなのはしばらくして分かったことだった。といっても私が命令したのではなくて、確かTVの番組で上司が部下にきつく命令する場面があって、そのときに盛大に顔をしかめたので理由を尋ねて知りえたことだった。そして彼は「命令」は嫌いだが「頼みごと」には弱いと気づいたのがつい最近のことである。彼がぽつりと「お前は船員を思い出す」と、言ったことで辿り着いた思考だった。そうぽつり、ぽつりとかけられる言葉の中に、時折話してくれる船員への厳しさと、信頼と、優しさが覗えて。
異世界で船長だったらしい彼は、端々にその資質を私に見せ付けるが、頼られるとなんだかんだで応えてしまうあたり甘いところがあるのだろうなと感じたのも、つい最近のことだった。彼は、自分が船員のことを語っているときの顔を自覚しているだろうか。私が傷心旅行に行こうとする原因がなければ容易く惚れてしまうと考えられる程度には、凶器である。絶対の自信と、彼の分かりにくい優しさが混じるあの笑みは、凶器である。話を聞くに船員は彼をとても慕っていたらしいが、その気持ちは良く分かるよと勝手に共感したりしていた。
あとは、当初問題にしていた日本語は、簡単なものなら読めるようになってしまっていた。というか、ひらがなはあっという間に覚えてしまって、カタカナは「似ているから覚えやすい」と難なくこれも覚えてしまったらしい。今は漢字を攻略中で、こればかりは順調とはいかないらしいが、私はとても感心していた。
ちなみに彼の世界の書き言葉は所謂英語だったらしいが、買い物の帰りに丁度ある本屋を紹介して、読みたいのはないかと聞けば決して薄くはない洋書を一冊だけ持ってきていた。これには英語が不得意である私は本当にすっかり感心してしまったのだった。書きは英語で読みは日本語なんて随分不思議な世界なんだなあと思ったが、喋ったり聞いたりは出来なくても英語の読み書きがすらすらで、これで日本語の書きもマスターしてしまうなら語学に疎い自分からすれば本当に感心してしまう。
そうして、彼は随分あっさりと、私との同居生活を過ごし、馴染んでいた。



「・・・本当に海賊ですか、ってんだ」
それはふと目覚めた瞬間の言葉である。同時に感じた柔らかい違和感に、頭を抱えた。聞いた話によると、彼は「死の外科医」で「王下七武海」で、かけられた賞金からもどうあがいたって札付きどころでない凶悪な海賊のはずなのだが。
肩に感じた柔らかさは、自分が使っている覚えがあるタオルケットで。ため息を吐いた。何がおれは海賊だ、だ。決して、出会い頭刀を向けられたことを忘れたわけではない。だがこうやって目に見える気遣いをされるとどうも駄目だ。きっと彼は気まぐれだ、とそれをはぐらかすのだろうし、実際そうなのだと思わせることは度々あるが。それでもこのタオルケットが温かいと感じるのは自分の温度のせいだけじゃないようで。別に、彼を好きなったわけじゃない。けれど私は、すでに傷心旅行に行くのを取りやめる算段を立てている自分が、おかしくてならなかったのだった。


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ローさんはハイスペック。(妄想)優しすぎか?とかあっさりしすぎか?とも思ってますがこれはこれで。あと船員には厳しいけど甘くて、ベポには無条件に甘いと良いなと言う。(妄想)