泥濘に足を取られまして
10

叶わない恋の歌なんですよ、言いながら笑う彼女はどこか儚くて、誰かにあっけなく手折られてしまいそうだった。目を細めて弧を描く口のさまがやけに、今まで特に意識していなかった彼女の、女の部分を見せられたような気がして。それは初めて見る彼女の表情で、言いえぬ衝撃を受けていた。例えばそう、これは知ってはいけないものを知ってしまった、開けてはいけない蓋を開けてしまった、そんな、まるで背徳的な行為をしてしまったような。海賊である自分が背徳だどうだというのはなんだかおかしな気もしたが、そういう感覚があてはまってしまうようで。
「・・・ローさん?」
彼女の呼びかけに目線で反応はしたが、言葉が続かなかった。何か言わなければきっと不審に思うだろうと分かっているのに、上手い言葉が思い浮かばなかった。頭に浮かんでは消える返答は、どれも今この場での答えにはそぐわない気がして。
「・・・いや」
「なんです? やっぱり呆れてます?」
眉根を寄せて苦笑する彼女に「そうじゃねェ・・・」と、答えたきり、自分はなにも言うことができなくなっていた。あぁおれは、らしくもなく動揺しているのか。やっと辿り着いたそれに、頭を抱えたくなった。さっきまで催促していたおれが突然無言になったのが不思議だったのだろう、彼女は「歌わないですけど、歌詞あるんで、見ます?」と尋ねてきて、その言葉に一瞬、知ったところでどうするんだとも思ったのだが、次にはおれの口は「・・・あァ」と頷いてしまっていたのだった。
「ちょっと待ってくださいね」
そういって彼女は機械に向き合って、何かを調べている様子だった。それはパソコンと説明されたもので、様々な情報がそれひとつで手に入るらしい。便利な文明である。しばらくすると別の機械が無機質な機械音を立てて紙を吐き出していて、彼女はそれを掴むと「はい、これです」とこちらに差し出してきた。
「・・・これは、」
「ふふ、漢字が多いですね、勉強になりますよ? たぶん!」
そういう彼女は笑っているので、分かってやっているのだろう。まったく、わざわざ用意しておいて読ませる気がないのかと少しばかり呆れる。 彼女は、おれが漢字に苦労しているのを知っている。だからきっとこれは面白がっているのだろう、と眉根を寄せて彼女を睨むが、自分の睨みはよっぽどでない限り彼女にはきかないとは最初の頃に分かったことである。
「良いじゃないですか」
「何がだ」
「付き合ってくださいよ、私の傷心に」
意味が分からなくて彼女を窺う。傷心? その言葉は、彼女と釣り合わない気がした。なにも、恋が似合わないといっているわけじゃない。ただ、いつも穏やかに笑う彼女が傷ついていたのかと、そのことが少し意外だったのだ。でも、それもそうか、進んで自分の心を打ち明けるということを、彼女はするタイプではない。それは長くはないこの生活でも、分かっていることだ。
そして彼女はどうしてか、至極愉快だといわんばかりの顔をしながら、言葉を続ける。
「女心は複雑なので、その歌詞を解読する気になって、解読できたら話を聞いてください」
「は、ぁ?」
「知って欲しいけど知られたくない! そんな気持ちに付き合ってくださいって言ってるんです」
「・・・なんだそれは」
ふふ、と笑う彼女は変わらず楽しそうで、おれは「解読ねェ・・・?」と受け取った紙の字面を、さらりと撫でたのだった。


×