洋服を選んだときとは打って変わって、興味がなさそうで適当なマルコさんに「それで本当にいいんですか」と聞いては「なんでもいいよい」と返されるやり取りを何度も繰り返していた。なんだか投げやりな態度に、「無駄にセンスがいい」とか言ったのがそんなに気に障ったのだろうかとも一瞬思ったが、どうやらそういう訳でもなくて、最終的にはやっぱりセンスがいい。けれどなんとなく、日用品を選んでいる彼は億劫そうに見えて、それが少しだけ不思議で、気がかりだった。それでも当分の食品を含め一通り買い終えれば、私たちは大人しく家路についたのだ。
外に出ればだいぶ日が傾き始めていて、確かに今は冬だが、それだけ時間が経っていたことに少し驚いた。自分ひとりではない影が、いつか並んで帰った幼少の頃を思い出させて、その懐かしさに少しだけ目を細める。
空は赤と青を混ぜて、濃淡のある紫になっていた。あの一言で表せないような色相は、どこかで見たことがあるなぁと思って、ぼんやりと少し前を歩いていた背中を見つめる。
すると、彼の足取りはしっかりしているのに、どこかふわふわとしていて、どっかに飛ばされてしまうんじゃないだろうか、と思わせる、覚束なさがあった。・・・はて? と、眉間を中指の第二関節辺りでぐりぐりと押し、ぎゅっと目をつぶりながら眉の辺りやら瞼やらを伸ばすように擦る。そうしてもう一度彼を見れば、マルコさんはやっぱりしっかりした足取りでちゃんと歩いていた。
・・・・・・アホか、私は。
少しだけ歩調を速めて、マルコさんの隣に並ぶ。彼はそれに一瞬視線を寄越したが、私が単に隣に並んだだけだと分かると、また視線を前に戻した。穏やか、だった。沈黙は居心地が悪いものではなく、微かな足音だけが耳をなでる。
そう長くない帰路を黙々と辿れば、家にはすぐについてしまった。中に入ればもう既に暗く、電気をつける。とりあえず自分が買ったものは玄関を上がってすぐのところに置いて奥に進めば、後ろから買ってきたものはどの辺に置けばいいかと声がかかる。「その辺で」と言ったのに苦笑された。

「なんだかんだ結局多いしよい」
「そうですか、ねぇ」

マルコさんは結局荷物を一通りリビングに運んでくれた。
広がった荷物は、私にしてみれば最低限のものを揃えたというくらいの認識だった。しかし彼は気だるそうな目をしてコトン、と割れ物の類を袋から出す。その顔がやっぱり少々気になったが、私はそれを受け取り、使うであろう食器棚などの場所に配置した。衣類は、彼に当てた部屋の方へ持っていってもらう。ちなみに、家の間取りは玄関から直線の廊下を進んだ一番奥がリビングとキッチンで、最初の話し合いをしたり、今荷物を広げているところだ。そして玄関から入って右手の、若干物置と成りかけていた所が彼の部屋として割り当てられて、廊下を挟んで向かいの左手が私の部屋となっている。
一通りの整理を終えれば、あとは昨日と同じで夕飯だった。ただ、酒を飲んでも彼は饒舌にはならず「どうですか」と聞けば「まあまあだねい」と手厳しい評価が返ってくるだけだった。まぁ、言葉の割りに表情は愉しそうだったので、その酒がいいやつだってことは分かっているのだろうと思う。私は今度はしっかりと、ここまでしか飲んじゃだめですからね、と釘を刺しておく。それに不服そうな顔をしながらも、彼は頷いてくれた。
そうしてこの日は、食事後に襲われた眠気に思ったよりも疲れていたことを自覚して、早々に休むことにした。風呂もまた朝に入ることにして、寝間着に着替える。寝る前にひょこりとリビングを覗けばマルコさんはまだ起きているようで「おやすみなさい」といえば「ゆっくり休めよい」と言葉が返ってきたもんだから、どちらかというとそれは連れ回したこっちの台詞じゃないかなぁ、と苦笑してしまった。
ぼふん、とベッドに体を預ければ、もう睡魔には逆らえなかった。瞼はあっという間に落ちて、意識は沈んでいく。
けれど沈んだはずの意識で、ぶくぶくと水の中に居るような音が耳に障った。暗闇にぼんやりと光が灯り、その眩しさに目を開ければ色が浮かぶ。しかしそこは水中ではなく、晴天、だった。海も空も澄み渡っていて、こんな綺麗なものを生きていた中で見た覚えがない私は戸惑っていた。俯瞰するように景色が見えていて、白い鯨が、海に浮かんでいる。その鯨を見つけたとたんぐんぐんと高度が下がり、オレンジ色が見えたと思えば、それはテンガロンハットをかぶった青年だった。気づけばそこは甲板の上で、私は上半身半裸の彼の横顔を見詰めながら手持ち無沙汰に立っている。青年は被っていたものを外すと、ついと視線を海やって「なぁ」と声を上げた。それが私にかけられたものだと理解するのに、一拍半ほどの間を必要とした。

「あ、えっとはい、なんですか」

私に声をかけたのだ、と理解してあわてて言葉を発した。不思議と私は誰とも知れない青年に警戒することもなく、躊躇いもなく返事をしていた。青年は海から視線を外さずに、穏やかな声で問いかける。

「マルコ、元気か」

その言葉に、カチリ、とピースがはまるような、欠けていたもの同士が合致するような感覚がした。みるみると胸に満ちていくあたたかい遣る瀬無さに私はふにゃりと表情を崩して「そうですね、見かけは」と答えた。それに苦笑する気配がして、彼が、こちらを振り向く。そばかすのある顔はいかにも快活な人間であるように感じさせた。

「皆には――マルコには、悪いことしちまったんだ」

しかし、そう言った彼の微苦笑は、ひどく穏やかなものだった。とたん、あぁ、そっかあ、と納得してしまった。

「きみ、ひどいひとだなぁ」

それは言葉の割りに、ふやけてやわい声になった。ひどいなぁ、と思うのに、彼を責め立てる気にはなれなかった。だって彼はこれっぽっちも、悔しがるような、未練があるような顔をしなかった。至極満たされた顔をして笑っていた。それは、命を賭した潔さをあらわしているようでもあって、だから、たぶん、どう頑張っても私は彼と同じ土俵に立てない。それはつまり、自分には何かを口出せることじゃないんだ、とどこか悟ってしまったものだから、彼を非難することができなかった。

「君はそれでいいかもしれないけど・・・・・・マルコさんはずっと、寂しそう、なんですよ」

それでも、やり切れなくて漏れた私の台詞に「・・・寂しがるマルコとか、想像できねェなァ」と彼は神妙な顔をした。けれどその想像に耐え切れなくなったのか「いや、無理だ」と噴出している。あぁほらやっぱり、人の気も知らないんだもん、ひどいったらないや。けれど彼はふと笑いを収めると、いくらか声を低くして言った。

「・・・・・・まぁでも、それが本当なら、そいつァ悪かったよ」

だけど、その顔はやっぱり悪びれがなく、いっそ悪戯っ子みたいな顔をしていて、彼は帽子を被りなおした。その表情に、あぁ、彼は自分がとても重大な存在であることに気づいていない人間なんだ、と唐突に理解した。
そしてそんな考えに捕らわれて言葉を飲み込んでいるうちに、彼は一瞬黙して考えるそぶりをし、次いで名案とでも言うように明るい顔をして言う。

「なァお前ェ、マルコを頼むよ」

すぐに、返事ができなかった。その言葉が持つ意味と重大さに詰まって、逡巡して、躊躇って、言葉を搾り出した。

「・・・・・・私に、頼んじゃっていいんですか」
「お前ェだから、頼むんだよ」

けれどそんな思いなんか知ったことではないというように、即座に答えて自信に満ちた笑顔でニカリと彼は笑った。その快活さにこちらまでゆるゆると笑みが浮かぶ。ずるいなぁ、と思った。彼はこっちのことなんて心配していないみたいな・・・自分が居なくても大丈夫と確信しているような、そんな気配が感じて取れた。けれどそれではあまりに、寂しいんじゃないか。この人を必要とした人間がたくさん居たはずなのに――そんな、取り留めもないことを考えて両目を細めた。すると、彼はそれに応えるかのように笑いをすっと引っ込めて、つばを引っ張り帽子を目深に被って、小さく、呟いた。

「弟に心配されるなんて兄貴はごめんだろうが・・・よろしく頼むよ」

振り返った背中のマークが、次の瞬間はもう霞んで見えない。視界が、白んでいく。

「待って・・・待ってください、名前を・・・!」

かつん、と彼が足を止めた。あたりはもう真っ白だった。彼の口元の笑みだけがやけに鮮明に映って。

「名前? あァ、そうだったな、俺ァ――」

ぱち、と一瞬で意識が浮上した。がばりと起き上がる。常の自分では考えられないほど、眠気なんてすっ飛んでいた。寝室から転がり出ればマルコさんは既に起きていて、私に気づくと「今日は起きれたのかよい」と微笑した。それに曖昧にしか頷けなくて、やけにはやる気持ちで彼に会ったんだと伝えようとして・・・・・・けれど、口を、噤んだ。そして私は、違う言葉を選んでいた。

「・・・マルコ、さん」
「ん?」

彼はくあっと欠伸をしながら体を伸ばしていた。それをぼんやりと眺めながら微笑する。

「私が、いますよ」

大きく開いた口のまま瞠目した彼を見て、私はどうしようもなくへにゃりとしたへたくそな笑みを浮かべるしかなかった。


たとえば明日が世界の終わりであったとして、
それでも君は笑うのだ。



そして君はきっと平穏の訪れのように優しく静かに、世界の終わりを享受する。

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