私に洋服のセンスなど求められても困るが、一応無難なものを選んだつもりだ。それはパステルの青いワイシャツと黒い文字が入った白いTシャツ、彼がもともと着ていたものに似たジーンズと黒いパンツだった。あと、彼が履いてたものを思い出して、あれでは季節的に寒いしミスマッチだろうと焦げ茶のシンプルなショートブーツも買っておいた。そして下着を買うか随分と頭を悩ませて、迷った挙句に一式だけ買った。帰ったら風呂にでも入ってもらって、そしたら着替えるだろうと考えたからだ。そして少し肌寒いこの季節に、なにか羽織るものも必要だろうと思って、これには迷うことなく少し長めのトレンチコートを選択していた。ほぼ無意識で手に取った濃い灰色は完全に自分の趣味で、少しばかりレジに持っていくのを躊躇したが、自分の欲望には勝てなかった。すいません是非トレンチコート着てください。と勝手に彼にお願いする。だってあの長身だ。似合わないはずがない。とそこまで考えて随分と楽しんでいる自分に気づいてはっと我に返る。いやうん、だから、まだ出合って一日足らずなのに、とついさっきも思ったことをまたかみ締める。
しかしまぁ、親しくなるのに時間は関係ないとはよく聞く話だ。だがよく聞く話でも、過ごした時間の長さだって大切なはずなのだ。なのにこの有様って。たぶん昨日の酒の席がそれを助長させていて、これは、所謂同情なのだろうかと、また思考がシリアスになる。違う世界に身ひとつできたマルコさん。あまつさえ大切な人たちを失って。だからかわいそうね、なんてそんな薄っぺらな感情に動かされて私は彼を引きとめたのだろうか。同情で物事を動かすと碌なことはない。だからそれは違うと言いたいが、状況は十分そう語っていて、知れずにため息をついた。確かに放っておけないと思ったのは事実だ。でもそれは同情というよりも、守らなければならないというような、まるで庇護の気持ちであったように思って。そこでふと、私は何を考えているのだろうとまた我に返る。こんな埒の明かないことを考えても無益だ。きっかけが同情だろうがなかろうが、彼と過ごすのも悪くないと思える、それでいいじゃないか。

「ただいまです」
「あぁおかえり」
「さっそくですがとりあえず、お風呂にしません?」
「あ? あー確かにそうだなァ・・・じゃあ」
「お先に」
「・・・いやおかしいだろうよい」
「え、だって」
「だってじゃねェよい、そりゃ完全にこっちのセリフだよい」

まぁ確かに私は家主なのでマルコさんの言い分はもっともだが、だがそんなふうに気を使ってほしいというわけではない。なのでやっぱり躊躇うのだが、一向に意見を変える気のない彼にため息をついて、じゃぁ仕方ないと、買った衣服の袋を渡す。それに少し驚いた様子をした彼に、とりあえず外出用です、と付け加える。

「なのでお風呂入って落ち着いたら、一緒にもろもろ買いに行きましょう」
「・・・何から何まで、すまねェよい」
「違い、ますよ?」
「・・・たく、分かった。・・・ありがとうよい」

そういってくしゃりと撫でられた頭に思わず目を見開いた。だが一瞬で離れたそれに遅れて心臓が音を立てていて。いや、だからな、とまた出会いから今までの時間を確認しようとして、でもそれはとっくに無意味だと悟ってもいて。こぼれそうになったため息を誤魔化すように「じゃあ遠慮なくお先に」といって言葉を繋ぐ。それに「あぁ是非そうしてくれよい」と彼は口の端をあげながら笑っていて、その少し意地の悪いさまに苦笑する。これ以上のやり取りは無用だと、こちらに気遣わせないための言い方だと、容易に察することができた私の対人スキルはたぶん低くない。だから私はまたその言葉に甘えてしまって、笑っているのだ。

「マルコさーん出ました」
「・・・分かったよい」

返事をした彼は服を広げていて、手に取りながら眺めていた。そのまじまじとした様子にちょっと不安になって、もしかしてなにか趣味に反したかと咄嗟に考える。あの、と口をついて出て、でもそれ以上がうまく音にならなくて。しかしその言葉に不思議そうにこちらを窺う彼を見て、意を決して今度こそ、趣味に合いませんでしたかと最後まで聞く。すると少し目を見開いて、次いで目を細めてゆるく彼は笑った。

「心配いらねェ、そうゆうのは特にないよい。着られりゃ十分だ」
「そう、ですか」
「ただ、服の趣味は人が出るなァとしみじみ思って、面白かっただけだよい」
「・・・?」
「気にすんな、こっちの話だよい」

そして口の端に笑みを浮かべながら風呂場へ消える彼に首を傾げるが、つまり、彼が言うに選んだ服は私らしかったと言いたいのだろうか。この数時間で、どこまで私という人間が読まれているのだろうかとも思うが、成る程先人の言葉は侮れない。親しくなるのに時間は関係ない、とか。今までは絶対にそんなことは思わなくて、親しさとは過ごした時間の長さにこそ比例するものだと思っていた。けれど彼を前にすると、その心情は簡単に打ち砕かれる。いや、彼との出会いが出会いだったから、様々な過程を吹っ飛ばしてしまったような気もするのだが。きっと彼とは、過ごした時間の濃さが違うのだ。そう、本来なら時間をかけて壊していく警戒の壁を、非常事態から安全圏に至るという落差で一気に壊してしまったのだ。この気の置けなさは、非常事態に置かれて、さらけ出してしまった自分を知られているというところから来ているのかもしれない。思って、ああ成る程と改めて納得した。彼との初対面は、普段友人にも見せないくらいの取り乱しようだったと思う。泣いてしまってたしなあ、とそれを思い出してこれはまずいと頭を抱えた。そうだよ、泣いてるとこ見られてんだから、甘えたくもなるんだって。ああ、と気づきたくなかったことに気づいてしまって、私は人知れず息を吐き出した。

「・・・大丈夫かよい?」

しばらくそのことに落ち込んでうな垂れていると、いつの間にか彼は風呂から上がっていて。上がるの早いなと思いつつ、かかった言葉が追い討ちをかけるようだった。ぶっちゃけ大丈夫じゃないと言いたかったが、本人を目の前にしてそんな暴露をしたいなんて思わない。ぎりりと歯を食いしばりながら大丈夫です、というさまに訝しそうにしつつも、彼はそれ以上を突っ込まなかった。

「・・・私グッジョブ!」
「なんの話だよい・・・?」

先ほどの提案どおり落ち着いてから、彼とは出かけることになった。発せられた言葉は、トレンチを選んだ私への賞賛である。買ったものは余裕があったり、調整できそうなものをなるべく選んだが、サイズが合うかやはり心配していた。しかしそれは大丈夫そうで、長身の彼は普通に着こなしていた。どうゆうことだろう、背が高いってここまでチャームになるっけと、改めて身長というカテゴリを見直す。今まで特に、人を見るときは余程の背がなければ身長を意識したことはなかったけれど、確かに彼の高さは普通の服を魅力的にさせていた。・・・なぜだ、背が高いだけで。それとも彼だからか。もしくは足か、足の長さが違うのか。そう考えて、でもこれ以上突き詰めると彼をべた褒めしてしまうようで、それは私の精神衛生上良くない気がしたので深追いするのを止める。なぜかって、突き詰めて結論を出してしまったら彼が今以上に魅力的に映ってしまう気がしたからだ。それは困る、今後の生活的に。だからきっとマルコさんだから似合ってるんだと、ごく軽い思考で良い方向に解釈し、あっさりと流し決して深くは考えないことにした。

「いえ、よくお似合いで。嬉しいだけです」
「そうか、よい?」

そう言ってちらりと袖を見やる彼に少しだけ笑い、お世辞じゃないです! と親指を立てる。それになんとも複雑そうな顔でそうかよい、と今度は疑問符がつかない返答を寄こして。目を合わせるように見上げれば、変わらぬテンションでありがとよいと言われそれに笑顔で応える。

「マフラー買えばよかったです、あれば完璧でした・・・」
「・・・これ以上いらねェよい。だいたい一着でよかったんだ」
「えー?」
「・・・んなふくれっ面すんなよい」
「だってマルコさんってなんでも似合いそうだなって思ったんです」
「ありがたいが、ほどほどにしろよい。おれァ気ィ使ってもらうような立場じゃねェよい」
「ぬうぅ・・・」
「・・・だからふくれんなよい。まったく、どっちが家主だよい」

どっちが家主だといわれて確かにとも思ってしまう。思いのほか自分が拗ねたような言動になってしまって、まったく子供か私はとすぐに自己嫌悪もするが、素直に納得もできていなかった。こんな調子でついさっき気を引き締めた己はどこに行ったんだと、彼が呆れたように苦笑してため息をつくのを見ながら、それに重ねるように自分に呆れる。きっと彼が言っていることは正しくて、彼はいつ帰るかもしれない己には要らないと言っているのだ。そんなことは解っているのに、分かりたくないという気持ちは子供の言動に良く似ているようで。うまく割り切れないのだ、中途に大人で、半端に子供な私は。だからいつまでもこういう甘えというか、癖というか、つくづく直らなくて。まったく参ると吐き出しそうになったため息は、彼と目が合ったことで慌てて飲み込んだ。これ以上留まると沈みそうな思考を振り切るように、準備が一通り整ったのを確認して玄関に向かって。ついでだとばかりに玄関の鍵の説明もして。戸締りを確認し玄関を出て並ぶと、改めて認識した彼の背丈と姿に、これはあらゆる意味で人の視線と注目を集めるなと私は苦笑を漏らすのだった。


何気ない日々のやり取りは、
それでも果たして日常と呼べるのか。



あまりに何気なくて、つい、忘れてる。

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