「はぃ? ・・・それはマジに、ございますか」

いやこれ、私悪くないよ。

・・・ってなんだそれって感じですよね。いやそれでもやっぱ私は悪くないと思います。なにをもってして善悪と判断するかというのはまぁ置いとくとして、それでも悪いのは彼の行動力が止まることを知らないせいだと思います。なんて責任転嫁してみるも別に彼は私の言葉を気にしている様子はなく。いや今に限ってもっとして欲しかった気もするけどね! なんて思ってみてもやっぱり彼が止まるわけもなく。
だってエースさんに白衣の天使のナースさんに、船長さん、ときて次マルコさんとか。いい加減私もうハートブレイクしそうなんですがどうなんですかどういたしましょうかえぇ。

「おーいマルコー!」
「・・・ああうん、これもう詰んだな」
「ん? なんか言ったか?」
「イエなにも」

現実を受け止められる冷静さは、人に対してはどうも適応しきれないのは昔からで。エースさんとは衝撃的な出合いというか出遭いであったので仕方なかったし、ナースさんは美人ということは外せないとして、え? それは違う? いやいやそんなことはないって。そして船長さんに会うときは、少しは覚悟ができていた。しかし、もうその辺で私の精根は尽きたというのに、これから、かの、不死鳥に、なんて。もう嬉しさによる緊張と疲労で卒倒できる自信がある。そろそろ歓喜もきわまって最早苦しい。ああいやそうか、私は色んなものと引き換えに、この瞬間のために生きていたのか。ああ成る程・・・ってそれで納得できるわけがあるか。まぁ嬉しいのは事実なので私は現金で、結局は感情に抗えないというむなしさをかみ締めるのだけど。
エースさんが扉を叩いてしばらくすると、鬱陶しそうというか、億劫そうな声が響いて。

「・・・今手が離せねェ。ちょっと待ってろい」
「開けんのはまずいか?」
「分かってんなら黙ってろい」

・・・マルコさんの声だ。業務に忙殺されているのか言葉はとげとげしかったけど。間違えようなく、口癖が物語っていた。けれどそう思った途端に、唐突に溢れそうになった涙に、困惑した。いやいや嘘だろ、こんな脈絡なく泣くなんて、どう弁解してもおかしい。そして私が泣いたってなんにもならない。どうして、この人だと思った途端涙腺が崩壊しそうになるのだ。うんおかしい。だって、そう。私は、当の彼らを、前にしたって、大丈夫だったじゃないか。そうだから、だからこんなのは、おかしい。おかしいんだ。

「・・・たく、書類で足場がありゃしねェよい」
「いっつも悪ィなー」
「・・・分かってんなら、ちっとはキレイな書類持ってきやがれい・・・っと」

そういって開いた扉から思わず私は目をそらしていた。心臓が一際大きくどくんと鳴った気がした。何故だ、おかしい。さっきから私は、おかしいくてたまらない。

「よおマルコ! こいつってんだ、今日からこいつも船員だぜ!」
「・・・・・・・・・・・・あァ、そう、かよい」

元気よく言い放ったエースさんに、ずいぶんの沈黙のあと、多分彼は様々なことを諦めて、その一言だけを返した。眉間にはくっきりとしわが刻まれている。うん、エースさん、その説明はあんまりだと私も思いました。マルコさんの立場は思ったよりも胃が痛そうだと、そのとき瞬時に理解できてしまった私は、これでも社会人をやっていただけはある。そして紹介に預かったので、恐る恐るとマルコさんに視線を合わせてみて。すると、少しだけ彼の目が細くなったような気がしたので、それを見た瞬間に、私はその視線から逃げるように頭を下げていた。

「い、居候となりました! です、船長さんにはすでに挨拶しています。よろしく、お願いします・・・!」

がばっと勢いよくお辞儀しながら一気にまくし立てて、緊張感に息をつめる。けれどそれとは反対に妙に疲れたような、でも確かに面白がっているような声音が頭上に響いて。ふと、つめていた息を緩く吐き出す。

「あー・・・まぁよろしく頼むよい。・・・っと居候?」
「はい、そうなります」
「そうかい。そりゃまた、オモシロイ名目だねい」

居候という単語に引っかかったらしい彼に、バカみたいに慎重に頷いている自覚があった。でも、それだけ緊張していたし、声が下手に上ずらなかっただけ褒めて欲しい。けれどそんな私の気持ちをよそに、軽やかな声が割って入ってくる。

「あァ、今は保留になってんだが、おれの妹候補なんだぜ!」
「ほォ? じゃぁお前ェが兄貴ってかい、そりゃァ・・・」
「・・・な、何が言いてェんだよ?」
「いや、随分はしゃいでいるからよい」
「・・・別にはしゃいじゃいねェよ!」

くく、とマルコさんが少し意地悪く笑いながら、私はいつの間にか妹候補になっていて。その言葉にどうしたものかと、すでに上げていた視線は二人を視界から外すように外を向く。こういう"家族"なやりとりは、見ていて微笑ましくて、そして少しだけ寂しいから。なんて思わず取っていた行動に、自分で目を見張り、繕うように目を弧にして「じゃあエースさんはお兄ちゃん候補ですね」なんて笑う私はあぁ、まったく。
けれど私の言葉に笑う気配を感じて、安心して目を開ければまたマルコさんと目が合って、さっきはあんなにそらしたいと思った瞳の、よく見えてしまったその色から、今度は目が離せなくなっていて。ああそうさ、彼がどんな人だったかなんて、知ってたじゃないか。例えそれが、紙面の上でほんの少しだったとしても、それでも彼を怖がる必要は、なかったってのに。そしてエースさんが話題を切り出したところで、私は我に返ったのだ。

「・・・部屋、の部屋を、確保したくて来たんだ」
「・・・あァ、分かったよい。そんなことだろうと思って、見当はつけてる」
「本当か!?」

手早く対応するなんてマルコさんは仕事人だなぁ、なんて他人事のようにその言葉を聞きながら、そろそろとお礼を言う。それに部屋の中に戻りながら手を振って応えてくれたマルコさんは、良い人なんだろうなと、やっぱり思う。しばらくすると戻ってきた彼は部屋の場所を言付けて、また扉の中へ消えようとする。するとふと動きを止めて、エースさんを見やりながら口を開いて。

「おいエース。ちゃんと面倒見て、目ェ離すんじゃねェよい」
「・・・分かってる」
「なら、いいよい」

そういって閉められた扉を見詰めながら、私はそんなに駄目な子でしょうかと。ふと湧き上がった悲しさに、けれど事実ここで生活するには多くの助けを借りないといけないのだろうと思う。あぁなんたることだ、予想はしてたけれどさ・・・。
情けない思いをかみ締めながらマルコさんの部屋を後にして、先を歩くエースさんを見上げる。そしたら彼も私を見ていて、不意に合わせてしまった視線に少し動揺してしまう。しかしそんなことは構わないというように、真っ直ぐとこちらを見る瞳があって、その一途ともいえる黒色に背筋が伸びるような思いがした。そして一瞬躊躇うように視線をさ迷わせたあと、また真っ直ぐとこちらを見て、彼は口を開く。

「なァ
「は、い。なんでしょうか」
「あんま言いたくないこと、言わせたいとは、おれは思わねェ。でもよ、」
「・・・はい?」

何のことだろう、と少しの間思案する。けれど次いで言われた言葉に、体温がすっと下がるのを感じた。

。お前ェ、マルコに会ったとき・・・泣きそうだったんだぜ」

「分かってたか?」と問われた言葉に、そんなことはないという一言が、真摯な瞳の前に飲み込まれて言葉にならなかった。彼の前では、はぐらかせない。頭が真っ白になっていた。私は、そんな態度を取っていたのか。彼が感じ取るくらいだ。マルコさんが気づかないということはないだろう。もしかして、最後に交わされた言葉は、このせいだったのかもしれなくて。ああ、やってしまったの、か。思った瞬間に、私は急いで言葉を繋いでいた。

「少し、知人に似ていて・・・そ、の」
「・・・あァ。無理しないでいいから」

嘘も良いところだった。マルコさんのような味のあるっていうか、色気ある三十路か四十路そこいらの人なんて見たことがない。でも、じゃぁ嘘が駄目だっていうなら、そしたら。私は、ありのままを話すのか? そんなことが、おまえなんかに、できるのか?

「ゆっくりでいいから、聞かせてくれよ」

やっぱり真摯な彼の言葉を前に、しかし私は答えうるだけの術を持ち合わせてはいなかった。
けれど本当は、よく知っている。どうしてマルコさんを前にして、困惑し、泣きそうになったのか。だってそう、彼は"置いていかれて"しまった人だったから。そしてそれはまるで、私が"置いてきた"ものと、同じようで。思考するよりも前に目の奥が熱くなって、分かることができてしまった私は、確かにもう"失っている"ということをちゃんと理解できていて。あの優しい瞳の色をうかがい知ることができてしまった私はきっと、余計にそう思う。優しい彼らが、いつかこんな私のように、置いていき、置いていかれ、そしてそれぞれに失うのだと思ったら。そう、つらかったのだ。胸の奥が詰まって、つらくてたまらなかったのだ。そしてやっぱり、こんなことは彼にも、彼らにも言えるわけがなかった。
本当はもう、泣いてしまおうかと思った。結末を知っているんだと、ただそれだけが私に重くのしかかっていた。とうにキャパなんて限界突破しているのに、気づいてしまった事実は胸を抉るように、いたくて。彼らは生きている、だからこそいつか失う。分かりきっていた物語が、けれど、とても、痛くてかなわない。ここで吐き出せば、この思いが行き着く当てはあるのだろうかなんて、そんなことを思うくらいには。

「・・・ただ少し懐かしくて、それだけ、です」
「そう、か」

引き結んだ唇で、結局、涙が伝うことはなかった。気づいたこの痛みが涙になることを、私は許さなかったのだ。涙にして流してしまうのは、きっとその痛みを認めるということで。認めて受け入れたら、もうそれが最後だと、何故だか警告音が鳴ったのだ。だから今はまだ、この甘い夢のような現実を歓迎して、私がすべきことは、それだけでいい。だってまだ、私はこの痛みを認めて耐えうるだけの、術を持たないのだから。

そうしてそんな臆病な私は、痛いと叫んだ胸のうちに、耳を塞ぐのだ。




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当人たちの死もそうですが、残された人たちを考えると胸がいたくてたまりません。特にマルコさんのことを考えると、胸がいたいです。あれ、これが噂の恋ですか(ちがいます