泥濘に足を取られまして
02

その鋭さはさながら、猛獣のようであると思った。
「・・・お前、誰だ?」
「は?」
男の第一声、呟かれた言葉にピシリと固まる。誰だ、だと? ここの家の人間に決まってんだろうが。だからあなたは私を襲っとるんじゃないんですか。そんな思いに駆られて、恐怖よりも怒りに天秤が傾き、私の言葉は強めに出てしまった。
「あなたこそ誰? 私を襲ってるの?」
「いや・・・?」
目の前の人物は不可解そうに首を傾げながら目を細めて私の顔を見た。ちなみに男の手は私の顔の両脇にあり、距離としては間近である。これでは襲われているかそうでなければ恋人の距離だ。おかしい。この男がいるのもおかしいがこの距離もおかしいというかなにもかもがおかしい。
「違うんならとりあえず退いてくれますか?」
言えば、その男は無言で退いてくれた。それに一先ず安堵する。いろんな意味で話が通じないわけではなさそうだった。と思ったのもつかの間だった。
「!?」
立ち上がった瞬間にまた滑った。今日はどんな厄日なんだと思いながらまたもやベッドに逆戻りする。男から見たらさぞ滑稽であっただろう、なんだか情けなさで涙が出てしまいそうだった。重力に逆らうことなく沈んだ身体に重々しくため息をつく。
そしてよいしょ、と今度こそ立ち上がった瞬間と、それは同時だった。ゴトリ、と物の落ちる音がした。疑問に思って音の根源を探せば、それは、長い。
「刀・・・?」
男が、素早く反応した。ベッドの向かいに落ちたそれは、鍔の部分がもふもふで可愛げがあるというか、なんだかこの男の帽子を髣髴とさせるなと、そう、思った瞬間だった。鈍く光る刀身がこれまた素早く抜かれ、切っ先が、こちらを向いた。
「どうも、お前が能力者というわけではなさそうだが・・・」
そういう男の目は、冷ややかだった。色濃く目の下に縁取られた隈がそれに拍車をかけていて、息を呑んだ。うまく、状況を飲み込めていなくて。まず、こんな長い刀を見たことがなかった。しかもそれが自分に向けられている。銃刀法が布かれているこの時代、こんな目立つものを所持するなんて出来ないだろうにと冷静に考える部分は確かにあるのに、その辺でもうキャパオーバーだった。思考が凍りついて、身体も動かなくなってしまった。私はどうなるのだろう、唯一にして最大の疑問だった。私は明日、日の目を拝めることが出来るのだろうか。そんなことを、本気で考えた。
「おい、女・・・お前の目的はなんだ? 首謀者は誰だ?」
男が静かに問いかける。しかし何もかも分からなかった。この男が言っている意味も、自分がなぜこんな状況に陥ったかも。
「知りま・・・せん」
それだけをやっと搾り出したが、男は無言で私の顔を見詰めた。それは睨んでいるのだろうか、目つきがもともと悪いのかよく分からないが、この状況から考えてたぶん睨まれているのだろう。しかしそんなことをされたって、どうしたって私にはなんの覚えもなかった。
「・・・本当に、なにも・・・あなたが何者かも分からないし、突然、現れるし・・・! 目的、なんて、知らない・・・! そんなの、私はなにも出来ないし、してないです! 知りません・・・なにも!」
ぐっと唇を噛んだ。ここで泣くべきじゃないと分かっているのに、目頭は熱かった。目じりからは溢れる質量に耐えきれず滴が一筋つたう。滲む視界が不安定で、もどかしい。こんな風に喚いたってどうにもならないし、自分はなんの力もない一般人だった。いやに静かな部屋に、呼吸だけが響く。しかし、しばらくすると男は何を思ったのか。クリアになった視界から、刀の切っ先は消えていた。


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