泥濘に足を取られまして
03

鋭い視線は相変わらずだったが、猛獣注意、とかいう言葉が浮かんできそうな視線ではなくなっていた。
「質問を変える、ここはどこだ」
「ど、こ・・・?」
随分と予想外の質問に、間抜けに反復してしまった。しばし見詰めて男の真意を測ろうとするが、変わらない表情に無駄だと知る。
「私の家です、ということではないですよね・・・?」
恐る恐るという言葉に、男は静かに頷く。その動きを確認して、私は答えるべき言葉を選んだ。番地まで告げれば、男も納得するだろうと思っていた、のだが。それどころか男はいっそう眉間のしわを濃くしていた。「日本ですよ? 日本!」慌てて付け足すが、たいした効果にはならないだろうと予想は出来ていた。考えている様子の男が、ふと肩に刀を抱えなおす。その一挙手一投足に、びくりと身体が勝手に跳ねるのに苦笑した。どうやら自分にとって、あれはよっぽど恐怖だったらしい。今更ながらに実感がずるずると尾を引いていて、男の挙動から目が離せなくなっている。なにをされるか、予想が出来なくて。
「地図はあるか」
「へ? あ、はい、あります」
「見せろ」
端的に告げられた言葉に頷いて、寝室にある本棚をあさる。随分と昔だったが買ったやつがあるはずだった。
「えと、これですけど」
おずおずと差し出すと、男はパラリとページをめくり、随分と凝視したかと思うと視線を上げる。
「世界地図はどれだ・・・!」
なんだか切迫した様子がこちらまで伝わって、私も焦ってしまう。「え、えっと」なんてどもりながら最初のページを指し示す。すると男はまたそれを凝視していた。なにかそんなに気になることがあるのだろうか、それとも最新版ではないことが引っかかっているのだろうか。それならばちょっと申し訳ないな、とか考えた瞬間に男のその視線と、私の視線がぶつかる。
そして男は一瞬その視線を彷徨わせたかと思うと、また私を真っ直ぐ見る。そうして数秒の沈黙が続いた後、男は何事かを観念したかのようにため息をつき、告げた。
「・・・この世界は・・・おれの世界じゃない」
「はい?」
反射的に聞き返していた。男はひどく苦々しい顔をしている。言っている意味がいまいち飲み込めなくて、沈黙してしまう。そんな私に、男は息をゆるく吐き出して、帽子を深く被りなおす。その様子は、最初私に刀を向けたときとは全然違って、ひどく弱々というか、疲れきっていた。っていうか、そうだ私刀向けられていたんだ。何馴染みそうになってんだ、と思いつつ。しかし男の様子はどこか同情をさせるような悲壮さがあった。
「偉大なる航路、この言葉に聞き覚えはあるか」
「ぐら・・・? えっと、グランドというと運動場で、ラインというと・・・線という解釈ですが・・・?」
「・・・分かった、いい」
男はまた思案するような顔で、腕を組んだり、顎に手を当てていたりしている。そしてしばらくするとまた質問を寄こした。
「この世界に、海賊はいるか?」
「・・・海賊? いいえ? いないですよ」
なんの話かわからず、海賊という単語に某有名な海賊映画の船長が笑っている姿が一瞬浮かんだのだが。男は重々しくため息をつき、そして言葉を発した。
「ここはおれの世界じゃない。そして、おれは海賊だ」


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