泥濘に足を取られまして
06

場所はリビングに移動して。しかし、やはり言葉が伝わるということはありがたいことこの上ない。それにほっとしたのもつかの間、聞く話をメモっていたら「その言語はなんだ」と、男、もといローさんは聞いてきた。・・・What?
「な・・・に、って日本語ですけど」
「ニホンゴ?」
「・・・まじか! いや、今話している言葉ですよ!?」
「・・・? だが、そんな文字を見たことは・・・いや、待て」
そういって眉を寄せる彼は思い出したように顔を上げ、「そういえば海軍が使っていたものに似ている」と言う。ふむ、海軍? と試しにさらりと紙にペンを走らせれば、彼は驚いたように「そう、これだ」と答えた。でも他は読めないという。・・・なんだかよく分からない世界だなぁ。
「ローさんのトコの喋りは日本語だっていうのに、書きは違う・・・? ・・・不思議な世界だ」
「まぁ・・・不思議というか、何があってもおかしな世界じゃなかったのは確かだ。・・・それを考えると、この現象も偉大なる航路のせい、か・・・」
ハァとさっきからため息が多いローさんの話をひとつひとつ聞いているが、聞くほどにますます異世界説は濃厚になってしまった。彼のため息に全力で共感しよう。というかよくよく考えればこれが本当だったとして、そしたらこの人相当不憫じゃないか? 考えてもみろ、もし自分が今まで暮らしていた世界と違う世界に行ってしまったら。・・・泣いてやる。確実に不安とかもろもろで泣いてやる。そして取り乱している。そしたらこの人こんな冷静ですごいな、というかそう見せているのかもしれないけど。・・・でもそしたら本当は不安なんだろうか。とかそう思うとなんだか、こっちが不安な気分になってきた。
「あ、あのローさん」
「・・・なんだ」
「えーと、その大丈夫、ですか?」
・・・なんてありきたりな言葉しか出ないのだろう。馬鹿か私は。と思ったが彼はその言葉を気にしたようでもなく、ただ少し意外そうこちらを見遣った。その反応が分からなくて「あの・・・?」と窺えば、「いや、久しぶりだったからな」と彼は口の端を上げていた。けれどそこには少しだけ、寂しさが混じっている気がした。
「・・・だが、お前が気にかける要因はなにひとつない。それよりも、もっと重要なことがある」
「は、はぁ・・・」
しかしそんな雰囲気は一瞬でなくなり、冷静な言葉にとりあえず頷く。そしてその「もっと重要なこと」とは、やっぱり。
「まぁ、帰ること、ですよね」
「そうだ。おれだってこんな話、信じたいわけじゃねェ。だが実際コトは起こっている。おれの知っている世界地図は、さっき描いた通りだ。・・・それ以外は見たことも、聞いたこともない。つまり、この世界はおれにすれば・・・異世界だ」
彼の口調はさっきから浮かない。それが地なのか、この状況のせいなのかはまだ判断がついていないが、私はその口調に随分助かっているな、と思っている。もし取り乱しながら彼と同じことを言われても、こんな風に対応は出来なかっただろう。自分が冷静でいられるのは、きっとこの人がそうだからだ。
彼がさっき描いた、という世界地図は、どう見てもこの世界のものではなかった。そして話を聞けば、詳細に島々の話が返ってくる。嘘だというには、それは些か出来すぎていた。ここまできて今更嘘だと否定するわけではないが、確証が増えたのは確かだ。
そして話を聞きながら、私はひとつ、決めたことがある。
「ということは、ローさん、行く当てってないですよね?」
「・・・まぁな」
認めたくなさそうに重々しくため息を吐いたローさんに苦笑しながら、私は言い放つ。
「じゃぁローさん、提案ですが、ここに住みませんか?」


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