泥濘に足を取られまして
15

目が覚めると、あたりは真っ暗で、随分眠っていたようだった。ずるりと額から生温くなった布が落ちて、それに気づくと、ローさんが看護してくれたことを思い出す。彼には悪いことをしてしまったな、と考えながら布団から身体を起こした。とりあえず電気をつけようと布団から抜け出すと、ぞくりと悪寒が走って、少し身震いした。布団と外気の温度差が、普段であれば大したことがないだろうに、今ばかりは寒く感じる。さすがに一日では治らないかとため息を吐いて、電灯のスイッチを押した。
時計を確認すると、時刻はもう夕食どきであり、しまったと思う。夕食を作るのはもっぱら私の役目である。彼は見かけによらずけっこう食べる方なので、面倒よりも、実は作り甲斐の方が上回っていたりするのだが、お腹をすかせていたら申し訳ない。まだだるさの残る身体を引きずりながらリビングに行けば、ローさんがいたので、声をかけようとしたが、ふと机に広がっている惣菜や食品を見て、あぁ買ってきたのだと思い当たる。その手際というか、馴染みっぷりに笑ってしまいそうになりながら、しかし私の心配は杞憂だったようで安堵した。そしてこちらに気づいた彼が読んでいた本から顔を上げ、私を見て言葉を発する。
「起きたのか」
「え、えぇまぁ」
「・・・まだ寝ていろ」
「大丈夫ですよ?」
「・・・・・・」
「そんな目で見ないでください信用ないな! っていうか無言は止めてって無言は」
胡散臭そうな物を見るような目でローさんはこちらを見るので抗議する。しかしあなたのご飯が心配で、なんていうのは言えなくて、その心配もなくなってしまったので確かに寝ていた方がいいかもしれないとも思った。まぁ少し小腹が空いた感じもあるが、生憎自分のためとなると途端作るのが面倒だ。一食くらいどうにでもなるだろう、なんていい加減なことを考えてしまうが。
「・・・腹でも空いたのか」
「い・・・やえっと、・・・少し?」
いつまでも突っ立っていたらローさんに言い当てられてしまった。それがちょっと恥ずかしかったので、私は曖昧に頷くが、風邪だと気づかれたときといい、この人は色々と機微に敏いなぁと思う。ただ静かにしているのかと思いきや、なにひとつ取り損なわぬようつぶさに周りを観察している。さすがにこれが船長ということなのだろうか、と思うが、どうにも元々彼の気質であるような気もする。
とそんなことを考えていると、おもむろに彼が立ち上がったので、どうしたのかと目で追えば、ローさんは袋をごそごそと漁っているようだった。その様子を何が出てくるのだろうと見詰めていたら、不意にこちらに向かって物が飛んできたので慌ててキャッチするために手を伸ばす。ギリギリで受け取ることに成功したので取り損ねるという醜態はさらさずに済むが、突然のことだったので思わずローさんに抗議しようと口を開こうとして。しかし、それは彼が投げたものの正体を目にしたために閉じられた。
「・・・生憎おれは料理なんてしない。お前のことだから、どうせ作るのが面倒なんだろ。・・・この世界、色々と便利でよかったな」
「お・・・仰るとおりで・・・。・・・よく分かってます、ね?」
「お前は案外単純だからな」
「・・・・・・ローさんの言葉がいちいち突き刺さるんですけど」
「知らねェよ」
「・・・・・・いや・・・はい・・・」
私の手に握られたのは、レトルトのお粥だった。これなら一から作るより断然楽である。なにしろレンジでチン! で終わりなのだから。・・・あぁうん、なんていうか、これは。
「・・・ローさんにも、人を気遣う心があるんですね」
「・・・・・・・・・」
「無言は止めてと何度言えばいいんですか」
「・・・キザむぞ」
「すいませんでした私が悪かったですからどうぞ黙っていてください」
ただでさえ鋭い眼光が細められてこちらを射抜くものだから、考えるよりも先に謝罪していた。あれは本気だった。本気の目だった。本気と書いてマジと読む感じだった。なんてこういうときばかりは私だっていつものように流せるわけではない。というか、まあ。ローさんに言われて突き刺さった言葉が地味に尾を引いていたので幼稚にも嫌味を言ってしまったわけなのだが、本当はけっこう嬉しかったのだ。だからこれ以上言い返すのも本意ではなかった。だから決して怖かったわけでは・・・というのは嘘で本職:海賊に本気で睨まれて平気なわけがない。顔も超凶悪だったしな!
「食べたら大人しく寝ろ」
「・・・分かっていますよ」
彼の言葉は、なんだか子供扱いされているようで、思わず眉が寄った。なんていうか、くすぐったいような、少し悲しいような感じがして。けれどその様子に彼は何を思ったのか「なんだ、それじゃあ不服か」と言ってきて「や、ちがくて、」と咄嗟に否定する。ああ今、私には、もっと言わなければならないことがあるはずだ。
「・・・・・・ロー、さん」
「なんだ」
「ローさん・・・」
しかしどうして、こういうときばっかり素直に言葉が出ないんだろうなぁと自分が嫌になる。いや、どちらかといえばタイミングを逃したというのもあるが、それでも言いたいのに、変に気恥ずかしさとか、申し訳なさが邪魔をする。名前を呼ぶだけ呼んで何も言わない私に当然彼は眉根を寄せて待っているわけで。でも、こういう、人の言葉をいつまでも待てるところも彼のいいところだなぁなんて思考が逸れながら。それでも数秒でどうにかかき集めた勇気で踏ん切りをつけて。
「・・・ありがとう・・・ございます」
尻すぼみになった言葉は、それでも彼の耳に届いてたであろう。目を一瞬見開いて、彼は「・・・面倒だから早く治せ」とそれだけ言って。またおもむろに立ち上がったかと思えば最初に居た場所に座って、読書に戻ってしまったのだった。


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最後のセリフを「・・・別にお前のためじゃねェ」とどちらにするか非常に迷いましたが、いやこの人はそんな典型のツンデレはしないだろうと思って止めました。(彼女のためにらしくもなく世話を焼いている自覚はちゃんとある)(いやでも2年前だったらしたかもしれない・・・笑)
まぁでもローさんは必要以外のことはあまり喋らないイメージ(っても漫画ではけっこう饒舌に喋ってるけどね!)というか必要なことこそ喋らないと言うか難儀な性格ではあると思います(笑