泥濘に足を取られまして
19

結局、ローさんの鋭い眼光を前に絡んできた彼らはそそくさと退散した。まぁうん君たち賢明な判断であるよと他人事のようにそれを見送る。だってどう考えてもローさんに立ち向かったら笑い事ではすまない事態だ。本職が海賊だもの。彼はそれを「張り合いのねェ」と鼻で笑ったがこの世界であなたに睨まれてでも立ち向かっていくツワモノはそうそういないと思いますよ、お兄さん。
「あー・・・え、と」
「・・・お前は、遅いと思ったら」
「いやぁ、今時居るんですねー」
「そうじゃねェだろうが・・・」
「はっ! 助けていただいてありがとうございます!」
「・・・・・・・・・もう、いい」
はぁあと彼は深くため息を吐いた。まぁ、ローさんが言いたいことは分からなくもないが、なんというかぶっちゃけあまり実感がわいていないのだ。
「お前はもう少し危機感を持て」
「んー分かりました」
「・・・ほんとに分かってんのかよ」
呆れたようにため息を吐く彼にあははと笑って誤魔化した。けれどそれはさっき生まれてしまった「どうして」という思考を掻き消すためでもあるようだった。そう、罷り間違ってもあんなことは思っては駄目なのだ。それは最も超えてはいけない一線のように思えて。だけどそれを容易く越えてしまいそうな危うさのある自分が今はいて、絡まれていたことなんかよりもそちらの方が断然私を焦らせていた。
「・・・・・・帰りましょう、ローさん」
「大して時間は経っちゃいないが」
「絡まれて疲れちゃいましたよ」
「・・・・・・まぁ、おれは満足だからいいけどな」
「じゃ、私も満足なので良いです」
「そうかよ」
僅かに口の端を上げた彼を視界の端に捉えながら、しかし私は必死に口を閉じていることに集中していた。でなければ私はなにか、言ってはならないことを言ってしまうんじゃないかと、この口はあっさりと言葉にしてしまうんじゃないかと、それが恐ろしくてたまらなかった。例えばそう、彼をこの世界に拘束してしまうような、そんな身勝手なことを言ってしまいそうで。
だって今の私は確実に、距離感を間違っている。ついさっき抱きすくめられた事実が麻酔のように思考を鈍らせていて、距離の取り方を誤らせようとしている。あれは違うのだ、彼はなんとも思ってない。所謂嘘は方便だと、分かっているのに。だから高鳴った心臓とか、熱くなりそうな顔とか、そんなのはおかしいのに。
「・・・・・・だーもーなんですか! たらしなんですかー!? 天然ですか! 魔性なんですか!!」
「・・・なんだいきなり、ついにねじでも飛んで・・・いや、元から飛んでたか」
「変わらずの辛辣さプライスレス!」
隙あらば毒を吐くその口には最近慣れてきた。そしてそんな軽口に笑いながら私は、さっきの思考を奥底へ仕舞ってしまうように、蓋をしてしまうように沈めてやる。そうすれば私はもう、この距離感を間違ってしまうことはないはずだから。
そうして私は、静かに嘆息しながら目を伏せたのだった。


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